ものごとに意味をつけない
よく、ものごとにどんな意味があるのかって考えてしまう。ものごとには意味があるはずだって考えてしまう。けど、考えすぎないようにしよう。そういえば、中学生の頃読んでいた糸井重里のエッセイに「額面どおりに生きる」みたいな話があった。裏を読んだり、深く考えすぎたり、無理に意味をつけようとしてもしょうがないんじゃないか。複雑なものを複雑なままにしておこう。
bucket list
映画『最高の人生の見つけ方』を観た。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン。最後は泣いた。原題『The Bucket List』。bucket listを偶然今年作った。「死ぬまでに」ってほどではなく単に「やりたいことリスト」のつもりだったけど、作ったねらいはこういうことだった。「死ぬ」ことの暗喩に「kick the bucket」って言い方があるって知らなかった。そのとき一緒にリストを作った人はバケツを蹴ってしまい、リストを増やすことも減らすこともできなくなった。彼女のリストには「リストを作る」と「花火を見たい」くらいしか載らなかった。「bucket list」って、楽しみを見つけることから離れないようにするいい方法だと思う。「最高の人生の見つけ方」っていう邦題、悪くない。リストの半分くらいはこの半年で消してきた。これからもリストを増やしたり減らしたりしていこう。
繰り返し
尾崎豊(最初の3枚だけ)を38年前くらいから聴き続けている。最初は実家の自室(和室)のステレオセットで、レコードに針を落として。そのうち自分の車で、カセットテープや買い直したCDでエンドレスのリピートで。最初の3枚に収録されてる29曲は全部歌詞見ないで歌えた。結婚したり子どもが育ったりする過程でそんなに聴かなくなったけど、最近またSpotifyで心置きなく聴けるようになった(今この時間も聴いている)。色あせるということはないが、なにか変質してきたような気はする。ずっと同じ文字を見ていると起きるゲシュタルト崩壊みたいなことではなくて、泥団子をずっと擦っているとだんだん素材感が変わってくるというか、そんな感じだろうか。受け取る自分の側が変わっているので感じ方も変わってくるんだと思うけど、よくわからない。
同じ本を何度も読むとか、同じ映画を何度も観るということもある。最近『ノルウェイの森』を久しぶりに読んでみた。当時は本当に繰り返し読んで、今でも家に単行本1セットと文庫本が2セットあるくらいの。今読んだら当時と感じ方が変わるんじゃないか、それを確かめる動機で読み返したのだけど、そんなことはなくて、『ノルウェイの森』を繰り返し読むことによって作られていった自分でこの数十年生きてきちゃったんだな、って認識する機会になった。あんな俗っぽい本に影響を受けた、って薄っぺらくて恥ずかしいんだけど、読んでて懐かしいというより、全然一語一句を覚えていて、自分の血肉になっているんだと感じた。登場人物の誰かが好きだとか、生き方や言動に影響を受けたという直接的なことではない。もっと細かいこと?うまく言えないけど、あの本の世界で起きた細かいひとつひとつのことを味わい尽くしたというか。
いずれにしても、好きなものは誰にはばかることなく、死ぬまで繰り返し聴いたり読んだりしていこうと思う。